Saturday, December 31, 2011

Mentor-Disciple Prayers

Valiantly Overcoming Difficulties

We look at you,graduating seniors, with prayers that your life's journey may be peaceful and safe and that you may obtain life's treasures of victory and glory.

We are waiting for  the day when you will climb over the difficult mountains of destiny and triumph with beaming smiles.

-Translated excerpts from "To My Dear Graduating Students: A Farewell Poem " by Shin'ichi Yamamoto, written on March 19 2001 (Seikyo Shinbun, March 22, 2001)

悠然と乗り越えて

僕たちは祈る。
私たちは見つめる。
先輩の あなたの
無事安穏の旅を!
勝利と栄光の宝を!


幾つもの
宿命の山を乗り越え
晴れ晴れとした
笑顔の凱旋の日を
私たちは待っている。

(2001年3月19日 「愛する君たちへ送別の歌」

Friday, December 30, 2011

若き日の日記(昭和26年) 池田大作



一月六日(土) 曇
  
  十一時三十分、先生宅、薄ら寒い正月。先生と共に、会社等の書類の整理。




一晩中、先生宅にて、種々お手伝い。及び指導、薫陶を給わる。先生の、なみなみならぬ、決意を、ひしひしと感ずる。


先生は、正成の如く、吾れは、正行の如くなり。奥様は、落涙。此の日の、感動、厳粛、感涙、使命、因縁、生き甲斐は、生涯、忘るることはない。後継者は、私であることが決まった。
激越の、年も刻々と明けてきた。いかなる苦悩にも打ち勝ちて、男らしく、青年らしく、若人らしく、本年も戦いきろう。




学会も、会社も、黎明の年であれ。

五月三十一日(水) 晴れ

 
 天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向かヘリ月氏の仏法東へ流べき相なり、瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり、仏は法華経諦法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ。
  
                                                  (諌暁八幡抄)

 一日一日、夏の陽気。


第一に、御本尊を信ずること。
第一に、御本尊を疑わざること。
第一に、御本尊に祈りきること。
第一に、御本尊を離れざること。
第一に、御本尊に訴えきっていくこと。

Wednesday, December 14, 2011

池田会長指導(三国志を通して) 昭和61年11月2日 東京会館

「劉備玄徳は優柔不断であるから、曹操に敗れるような憂き目にあるのもやむをえなかった。」
「諸葛孔明も、又玄徳も理想主義であった。」
「張飛は粗雑で軽薄すぎるから、身を亡ぼすようなことになってしまった。ただし、彼は生命力には自信があった。」
「関羽は、重厚な人柄だ。時に損をするような、真面目な性格であるが、彼の偉さは義を立てぬいて、しかも自分を少しでも偉いと思っていないところにあると思う」
「関羽は、信義の人であった。節操を尚び、義を重んじて生きた。」

玄徳・関羽・張飛の三人の間に結ばれた有名な「桃園の義」について、戸田先生は「より大事なことは、三人が共によくたがいの短所を知って、補い合っていけたから、、団結できたのだ。」と話されていた。
我々もたがいに同志である。兄弟以上に深いつながりがあるかもしれない。その意味から、相手の短所を追求するという行き方でなく、たがいに補いあう麗しい人間関係であっていただきたい。また「したがって、まず三人の性格上の違いをよく見ていかなければならない」ともいわれ、人物の見方というものを教えてくださった。『三国志』をただ物語としておもしろく読むだけではなく、人生と人物観に通ずる原理を読みとっていくことが大切である。
人の性格というのは終生、変わらないものである。その相手の性格を知り、どう守り、生かしていくか。それが、多くの人をリードする指導者の根本要件である。
さらに、「どれが短所か、また長所は何かを知っていくことがたがいに相手の人物を理解する基本となるものだ。結局三人が結束したのは、義を結んだときに、おたがいを好きになったからだろう」といわれた。
広布という大目的のためには、たがいに好きになるという強い結束が大事である。そうした同志としてのつながりほど、尊く強いものはない。
徐州の没落以来、数年ぶりに、玄徳・関羽・張飛を中心として君臣一同が一城に住みうる日を迎えた。その日を迎えて『三国志』には次のように述べられている。
「顧みればーそれはすべて忍苦の賜だった。分散してふたたび結ばんとする結束の力だった。その結束と忍苦の二つをよく成さしめたものは、玄徳を中心とする信義、それであった」と。
何事を成すにも、それなりの「忍苦」は当然あろう。また立場や場所は異なってもいざという時は共に集い、ともに進んで行こうとの強き同志愛による「結束」が必要である。まして広宣流布という大目的に進む諸君は、この事をけっして忘れてはならない。
現実は足の引っ張りあい、いがみあい、ねたみ、反目の渦巻く醜い社会である。まさに三悪道、四悪趣、六道輪廻の世界である。そのなかにあって、本当に美しく、壊れない人間社会の建設は仏法による以外にないのである。
「人柄」と「人格」の優れた人が、誰からも信頼され、頼られる存在となるものだ。また「判断の正しさ」「強さ」「戦いの正確さ」というものはリーダーに必要な資質である。
それほど目立たない人であっても、立派な人はいるものだ。地位や立場、外見などで、人物を評価することはできない。むしろ黙々と苦労している人に、人材は多くいるということを若きリーダーの皆さんは忘れてはならない。
いかに年をとっても、自らの信条信念を、青年時代から変わらず貫いていく。そこに私は趙雲の偉さを感ずるし、広布と信心における私どもの生き方も、かくありたいと願うものである。
時代はますます”エゴの時代”になってきている。民衆を心から大切にする指導者は皆無に等しいのではなかろうか。仏法者はいかなる苦難、いかなる困難があっても、絶対に民衆を守らねばならない。仏法は民衆のためにあるからだ。
皆さまも、自分を認めてくれない環境を嘆くようなことがあるかもしれない。しかし、青年時代は修行の時代である。今後、四十代五十代になってからの社会と広宣流布の本舞台を胸に秘め、淡々として時を待つ、ふところの深い境涯も必要であると思う。屈するは伸びんがためであり、現在の本分に全力を尽くしつつ、天の時を待つという行き方もあることを知ってほしい。
次元は異なるが、大聖人も、広宣流布は、「時を待つ可きのみ」(御書1022)と仰せになっておられる。
 「返す返す穏便にして、あだみうらむる気色なくて身をやつし下人をも、ぐせずよき馬にものらず、のこぎりかなずち手にもちこしにつけて、つねにえめるすがたにておわすべし」(御書1107)
つまり、かえすがえすも今は穏やかな態度をして、造宮の工事をはずされたことをあだみ、うらむような、ようすもなく、また身なりも目立たないようにし、召使いなども連れず、良い馬にも乗らないで(大工らしく)のこぎり、かなづちを手に持ち、腰につけて、常ににこやかな姿をしていなさい、と仰せになっているのである。皆さまも、この御指導を聡明にわが身にあてて銘記していただきたい。
長い人生の途上には、仕事のうえでも、組織等のうえでも、自分の実力を発揮できる場を与えられていないと悩むことがあるに違いない。しかし、本当に立派な信心と人格の人物であれば、やがて諸天がその人に存分の活躍の場を与えないはずがない。
”天の時”が来れば、不運を味わった分の何倍もの重要な立場で必ず大活躍していけるのである。
ゆえに、一時の事で、くさったりしてはならない。まして信心を後退させるようなことは断じてあってはならない。
人生の一つの敗北にあたって、くよくよと悲嘆するばかりでは、人生そのものの敗北にさえ陥ってしまう、むしろ敗戦は、次の勝利へのバネであると一念を定め、自ずから力を蓄えていくべきである。
関羽はさらに「人間にも幾たびか泥魚(泥の中の魚)の穏忍にならうべき時期があると思うのでございまする」と玄徳を励ましている。
”泥魚と人生”-これも味わうべき言葉であろうと思う。若き諸君にここから何かをくみ取っていただければ幸いである。
母親の正しき一念の所作、一念の力が、どれほど子供に通じているかを知っているつもりである。
劉備は、大変に親孝行な青年であった。父はすでにいない。母一人である。しかし、こうした恵まれない家庭から優れた人物が出るというのも今も昔も変わりがないようだ。
孔明が最後の戦線である中原へ進出する大事を前に、常に緻密であったことを見逃してはならない。
現実の事にあたって大ざっぱな考えでは、けっして勝てるものではない。緻密でなくては、現実に打ち勝つことは絶対にできない。それを前提にしたうえで、また広々とした未来を志向していかねばならない。
孔明は、常に用意周到に事を進め、その作戦は緻密を極めていた。玄徳亡き後、五回の外征をおさめ、三年は内政の拡充に力を注ごうとしたのも、その表れであろう。
孔明は内政の拡充を進めるにあたって「三年の間、彼は百姓を憐み宥わった。百姓は天地が父母のように視た」
この姿勢は会員を大事にするという草創以来の学会精神に相通ずるものがあると言ってよい。
新しく呉の国の主となった孫権に向かって、参謀の役をつとめた周瑜は「いつの時代になろうが必ず人の中には人がいるものです。ただそれを見出す人のほうがいません。」と語る。
また孔明がつねづね劉備に向かって言う言葉に”すべて人にあり”がある。”望蜀の巻”には「人です。すべては人にあります。領地を拡大されるごとに、さらにそれを要としましょう」と
同じように、広布の活動と前進にあっても、人材が何より大切である。自分より立派な人材をどれだけ育てあげるかが肝要である。そこに指導者としての正しい姿勢があり、成長と前進もあることを銘記していただきたい。
関羽、張飛が亡くなり、ひとり心労を尽くす諸葛孔明の心中を”五丈原の巻”では次のように記している。
「口には出さないが、孔明の胸裡にある一点の寂寥というのは実にそれであった。彼には、科学的な創造力も尽きざる作戦構想もあった。それを以て必勝の信ともしていたのである。けれど唯、蜀陣営の人材の欠乏だけは、いかんともこれ補うことができなかった」
戸田先生は、孔明に対する人物観として「人間おのおの長所があれば短所もあるものだ。さすがの孔明としてもいかんともしがたいところであろう。蜀の国に人材が集まらなかったのは、あまりにも孔明の才が長け、几帳面すぎたからだ」と評しておられた。
才があるからといって、すべてを一人で行ってしまっては、人を育てることはできない。皆の意見をよく聞き、そのうえで、結論を出していくことが大切である。また適材適所で人を生かしながら、それぞれ責任を持たせ、一人ひとりに自信を持たせていかなければ、人は育たない。
さらに戸田先生は孔明について「しかも、彼には、人材を一生懸命になって探す余裕もなかった。そこに後継者が育たなかった原因があると思う。しかし、ともあれ孔明死後、蜀は三十年間も保ちえたのを見れば、まったく人材がいなかったわけでもない」 と語っておられた言葉を忘れることができない。
劉禅は劉備が四十代後半の時に生まれた子であり、劉備死去の時は弱冠十七歳であった。大事にされ過ぎた点があったのかもしれない
先の川本氏も「諸葛亮はじめ、よりすぐった人たちの集団の中で掌中の珠のように育てられた御曹子が、バカの代名詞のように大人になってしまうとは.........世の中は、思うようにならないものである」と述べられている。
戸田先生も「両親が働き盛りの時に生まれた子供は優秀に育つ場合が多い」といった意味のことをおっしゃっていた。
諸君もさまざまな苦労が多いことと思うが、「艱難に勝る教育はない」との心意気で、これからの人生に取り組んでいっていただきたい。それがすべて自信を磨き、自身の徳になり、また子供への守りとなるからである。
どんな英傑でも、年齢や境遇の推移とともに人間がもつ平凡な弱点に陥りやすい。晩年期にさしかかった曹操の姿を通して、こうした教訓を読みとることができる。
「むかし青年時代は、まだ宮門の一警手にすぎなかった頃の曹操は胸いっぱいの志は燃えていても地位は低く、身は貧しく、たまたま同輩の者が上官に媚びたり甘言につとめて、立身を計るのを見ると、(何たるさもしい男だろう)と、その心事を憐み、また部下の甘言をうけて、人の媚びを喜ぶ上官にはなおさら侮蔑を感じ、その愚かを笑い、その弊に唾棄したものであった。実にかつての曹操は、そういう颯爽たる気概を持った青年だった」とある。諸君もまた、そうした理想に燃えている一人ひとりであろうと思う。しかし、悲しいことに五十代後半にさしかかった曹操は、かつての英傑の面影を失っていく。
「ところが、近年の彼はどうだろう。赤壁の役の前、観月の船上でも、うたた自己の老齢をかぞえていたが、老来まったく青春時代の逆境には嘯く姿はなく、ともすれば、耳に甘い側近の言葉に動く傾向がある。彼もいつか、昔は侮蔑し、唾棄し、またその愚かを笑った上官の地位になっていた」のである。
われわれも、利己の心にとらわれ、広布の大理想への情熱の炎を消してしまえば、こうした姿に陥ってしまうであろう。怖いことである。
戸田先生は、晩年の曹操について、次のように言われた。
「曹操は大成するにしたがって慢心を生じてきた。自分を諌めたり、反対意見を出すものを遠ざけたり、殺したりするようになってしまった」と。
またこのことに関連して「若い時代に指導者の立場になったら、老人の意見を大事にしなければならぬ。逆に老人になってから指導者になるときは、必ず若い人の意見を聞いていかねばならない」と指導された。
まったく私もそう思っている。
(昭和61年11月2日 東京会館)

Sunday, December 11, 2011

池田名誉会長 桂冠詩人の世界 「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」より

「なぜ山に登るのか」
「そこに山があるからだ」と
かつて
ある著名な登山家は言った

我らは今
広宣流布の山である
二十一世紀の山を
登攀せんとしているのだ!

我が 青年達よ
妙法正義の旗を振りながら
満ちたりたる人生の自立のために
二十一世紀の山を
勇敢に登り征け!

我が 太陽の仏法
昇りきたりて七百年
そしてまた
「源遠ければ流流し」の
原理のもとに
その大河は
満々と世界に広がった!

この悠々たる大河の流れは
誰人も
決して止めることはできない!
いかなる権力をもってしても
いかなる邪悪な妨害ありとも
時代の先取りとしながら
さらにさらに
水かさを広く深く拡げながら
大海に向かって
流れゆくに違いない!

私は諸君の成長をひたすら待っている
否 祈っている
それしか広宣流布の道がないことを
知っているからだ
そこで 私は申し上げたい
現実の二十一世紀の山へ
登りゆくためへの原動力は
勤行 唱題であることを
忘れてはならないということである

「一丈のほりを こへぬもの
十丈 二十丈のほりを こうべきか」
の御聖訓のままに
今 君達が存在するその場所で
断じて勝たねばならない!
仏法の真髄である
題目をあげぬいた人には
誰人も絶対にかなわない!
この御聖訓の一節を
若き君達よ!決して忘るるな!
いや 勇んで実践しぬいてゆき給え!

いかなる苦衷の最中に入っても
希望を失うな!
希望は無限の力である
これこそ信心であるからだ!

「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」より



いけだ・だいさく 1928年、東京都出身。多くの詩作を発表し、81年、世界芸術文化アカデミーから「桂冠詩人」の称号が贈られる。世界詩歌協会からは、95年に第1号の「世界桂冠詩人賞」、2007年に「世界民衆詩人」の称号、10年に「世界平和詩人」賞を受ける。写真芸術の分野では、1989年にフランス写真博物館の第1号の「名誉館員」に、91年には、オーストリア芸術家協会の日本人初の「在外会員」に就任。シンガポール・ネパール・インドネシア等の写真家協会からは「終身名誉会員証」が贈られている。 

(2011.12.11 聖教新聞5面より)





Wednesday, December 7, 2011

若き日の日記(昭和二十五年) 池田大作

   


      五月三十一日 (水) 小雨


汝等、 当に共に一心に精進の鎧を被、堅固の意を発すべし。         (法華経涌出品)

新緑の五月は過ぎぬ。涼しい日であった。身体の具合、少々良好。此の調子で頑張ろう。大馬力をかけて。
明日より、六月。青葉、若葉の薫り、床しき律動の青月。人生なれば、青春。ああ、心は躍らん。心は、弾まん。若人の活躍の月だ。

過去は夢なり、未来も夢なり。過去の夢は、月の如く寂にして、情火は燃えぬ。未来の夢は、太陽の如く、朝日の如く、曙光と感激の溢るる夢が生ずる。

青年は、未来の夢を追って、生きねばならぬ。

『富士宗学要集』全十一冊を購入。金、三、五〇〇円也。

   十二月七日 (木) 晴
 
 小波小風は大船を損ずる事かたし・大波大風には小船をやぶれやすし。王法の曲るは小波・小風のごとし・大国と大人をば失いがたし、仏法の失あるは大風・大波の小船をやぶるがごとし国のやぶるる事疑いなし。                                         (神国王御書)

起床、六時。元気。元気に出発。
夕刻、アパートを世話してくれた、親娘三人を、有楽座に招待する。ロードショーの洋画を観る。

「嵐ヶ丘」ヒースクリッフとキャサリンの、愛別離苦の描写に胸を打たれる。帰り、日劇地下で、ちらしを、御馳走する。喜んで帰った。

招待もよいが、折伏で救うことが、真実の御礼である気がしてならない。

帰宅、十時五十分。
 
    十二月十一日 (月) 晴
 
「人生とは、闘争の異名なり」と、叫んだ哲人がいる。
正しく、人生は、戦争の如く、厳しく、目まぐるしい感を抱く。何も
知らなかった少年時代が、懐かしい。だが、一歩も、退くことは、許されぬ。

人生は、闘争だ。
だが、闘争の中にも、休息は必要だ。
その休息の中に、次の理想を浮かべることだ。
そして、その理想の中には、必ず、個人も、社会も、大善がある理想を忘れぬことだ。
更に、その理想を実現してゆく、色心の力を燃やしきることだ。
そのために、休息は、必要だ。
結局、人生は、究極まで闘わねばならぬ。
最高の理想たる。広宣流布の実現を目指して。

Tuesday, November 29, 2011

御書とともに 名誉会長が指針を贈る

(61)
此の心の一法より国土世間も出来する事なり、 一代聖教とは此の事を説きたるなり此れを八万四千の 法蔵とは云うなり是れ皆悉く一人の身中の法門にて 有るなり、然れば八万四千の法蔵は我身一人の 日記文書なり (三世諸仏総勘文教相廃立 日蓮大聖人御書・創価学会版 563㌻)
  黄金の人生日記を (通解)
この心という一法から国土の違いも出てくるのである。一代聖教(釈尊が一生の間に説いた聖なる教え)とはこのことを説いたのであり、これを八万四千の法蔵というのである。これは皆ことごとく釈尊一人の身中の法門である。したがって八万四千の法蔵は我が身一人の日記の文書なのである。
  同志への指針  
すべては、わが一念から出発する。  いかに時代の闇が深くとも、自分 の心に元初の太陽が昇れば、環境も 変えられる。何があっても嘆かない。 諦めない。断じて負けない。  創価の誉れの友は、黄金の生命の 日記を晴れ晴れと綴っていくのだ。

Sunday, November 27, 2011

Let's Become Beacons of Hope

Having the spirit to greateach day with an upbeat,positive attitude is the secret to living a cherful and victorious life.Advance with bright optimism toward your future dreams,while continually creating fresh hope for yourselves along the way....Just laugh away your troubles, whatever they may be.Laughter is good medicine. It will lift your spirits and the spirits of those around you. Translated excerpts from SGI President Ikeda's speach at a divisional representatives conference held in Tokyo on March 24, 2006 (Seikyo Shimbun, March 28, 2006)

Smiles Are Treasures-The Key to Making Friends Everywhere

What is the most precious of all treasures? It is nothing other than the life in each of you, the smile on every one of you! Alively, smiling face - this is the passport of a global citizen making friends with people everywhere. Each of you was born into this world carrying such a passport. Let us create a world,a time, a century in which simply being human is reason enough to greeet each other with a smile. - Excepts from "Salute to Smiling Faces Kit with Hopes in the 21th Century - Dedicated to My Dear Young Friends of Beyer Elementary School" (written by Daisaku Ikeda on August 24,2001, http://sokaeducation.wordpress.com/page/2/)

Be Healthy, Delightful and Proficient in Foreign Languages

Congratulations on your annual English speech contest, which has become quite a tradition [of the Junior high school division]! I hear in my heart the brave and eloquent voices of youthful world citizens who are shouldering the 21st century. Ibelieve your active participation in an event lide this will serve as a cause for your tremendous growth. Your efforts will bear fruit without fail. Today, I will receive a Special Merit of Award from the St.Petersburh Scientific Center of the Russian Academy of Sciences. This conferral has been unanimously decided by 32 academic institutes. Ireport this honor first to you, the junior high school divsion members who are attending this contest, because the honor is a crown of intelligence that will shine brilliantly in the future when all of you will play significant roles in the world. During the Second World War, the city of St. Petersburg (then Leningrad) was besieged for 900 days by the Napi German forces. In the middle of the dreadful bombardment, however, there was a middle school that persistently continued to hold classes without missing a single day. Each time the school was damaged by a bomb, the students rebuilt it and carried on with their studies, enduring the cold and shortages of food. It is awonder that the students are said to have achieved the best grades during this hardest time. One of them wrote how he felt at that time: "While bombing, the enemy planes scattered handouts that said they would annihilate our city. But their intention to terrify and threaten us only motivated us to summon forth more and more inner strength." What is important is such anunyielding spirit, or the courage to persevere. You should not be overcome by any hardship such as others speaking ill of you. Advance further and further regardless of whatever unfavorable conditions you may be confronted with. With regard to learning languages, those who make persistent efforts will win in the end. I conclude my message by expressing my wish that ll of you gathered here will always be healthy, delightful and proficient in foreign languages, living out your youth to the fullest. - Translated excerpts from SGI President Ikeda's message to the junior high school division English speech contest held on November 8, 1998

Mothers' Smiles Symbolize Peace

One smiles not because one has no hardships or worries. Beautiful smiles appear from a strong heart that never suc- cumbs to one's circumstances. And with such smiles people become happy, which in turn sets in motion a process of peace that spreads ever further.

 Translated excerpts from Kaneko Ikeda' acceptance speech at the conferral of the title of honorary director at China's Mussum on November 27, 2008 (Seikyo Shinbun, November 28,2008)

池田大作詩集『友に贈る』

(苦闘の章)より
甘き夢は 
夢想家にまかせよう
ひとときの気休めは
架空の世界にゆだねよう
厳しき現実と格闘するわれらは
愚痴を英知に
嘆きを生きがいへと
悠々と変えてみせるという
信念の共闘者でありたいのだ
 *
あの道も失敗し
この道も失敗したとしても
僕には
確たる完全な道のあることを
忘却しないから
最後の花の道に
進歩し 
帰着してみせる
 *
辛くとも 
涙して泣くまい
二十年先を目指して
今日も撓まず
一歩一歩 山を登る気持ちで
前に進むことだ

(同志の章)より 
誰からも
賛嘆されなくてもいい
賛美されなくてもいい
私には 
心から信頼できる
大好きな人間が 
大勢いるから
私の胸は 
花束でいっぱいである

(指導者の章)より
連戦連敗の最中にあっても
君よ 
けっして
あの凱旋将軍の笑顔を
忘れないでくれ給え
 *
瞼の底に
君の勇姿が消えない=と いわれるような また行く人 
去る人ごとに
倒れざる
心のなかの柱を作りあげる
強烈な信仰の指導者で
あってくれ給え 

池田名誉会長 桂冠詩人の世界 . 「幸福を築け! 広宣の大地で」より. 11.12 女子部の日「幸福は心の扉を開いて創るもの」

今日も私は
私の魂と共に
栄光の歌声を口ずさむ。
青春時代は短い。
人生は長い。
軽薄な青春時代では
一生涯の幸福の
盤石な岩盤はできないことを
知っている。 
快楽を彷徨いながら
送る青春は
やがて 
煙になって
地球の果てに
消えゆくことを知っています。
 不幸の魔は
絶えず
皆の傍らに動き回る。
不幸という破壊は
奥深い偽善の
口実を使いながら
いつも周囲に
浮動しているのだ。 
貴女よ!
豪華な衣装よりも
清楚な
幸福の金の衣装で飾れ! 
貴女よ!
 贅沢と虚栄の
陰湿な心の人よりも
澄みきった 
美しい
自分自身の心の宝を
最上の誇りとすべきだ。 
幸福は
夢のようなものではない。
風が吹いて
やって来るものではない。
誰かが
与えてくれるものでもない。
確固たる
汝自身の魂の
強き輝きの中にある。
幸福は 創るものである。 
青春時代に苦闘し
あくまで人のために
悩み戦った人には
人生の最終章では
あの不幸の
侘しい歌は
絶対ないのだ。 
仰ぎ見るような
完璧な
栄光の存在の光を
皆に見せつけていけるのだ。
その人の勝利は
永遠である。
不滅の幸福の記念碑が築かれる。 
何ものにも負けぬ 賢く 
聡明な
着実なる生活の中に
努力と忍耐で築いた
生命の城は 
崩せない。
虚栄と策と名声だけで
築いた城は 儚い。
一度しかない青春!
一度しかない人生!
青春を正しく
生き抜いた人には
必ず 
幸福という
未来と現実が待っている。 

「幸福を築け! 広宣の大地で」より 11.12 女子部の日「幸福は心の扉を開いて創るもの」 (聖教新聞11.13. 5面)

Mentor-Disciple Prayers

For the Good Health of Friends I pray for your good health. I hope you will pray for your fellow members to live long lives. I hope all people say, "I lide my fellow members," "I trust them," and "I respect them," always laughing cheerfully. With these things, I will fill the whole of our lives. -----Translated excepts from SGI President Ikeda's poem, "Dedicated to members in Shikoku: Victory with Etermity, Happiness, True Self and Purity in the Country of Brilliance" (Seikyo Shimbun, August 15,2000) 友の健康 僕は 君の健康を祈る。 君はまた 君の同志の長寿を 祈ってくれたまえ! 皆が わが同志は好きだ! 信頼できる! 尊敬していこう!という 常に高らかな笑い声で この人生を 埋め尽くしていきたい。 (2000年8月15日 「光の国に常楽我浄の勝利を!」から)

池田名誉会長 桂冠詩人の世界 『外苑の銀杏並木に思う』

黄金の生命を讃えよ 
最後の人生が どうであるか。
その頭上には
静寂と光があるか。
暗黒と苦痛があるか。 
君も私も
退屈な人生の旅でなくして
大きく両手を広げ
無限の決意と
無限の喜びを
謳いながら
いくつもの曲がり角を
楽しく歩む
 醜い憎悪の風を
 吹き飛ばし
気楽な強い境涯と
鉄鋼のごとき
恐れぬ沈黙と
明るい風を
胸いっぱいに受け
断じて勝ちゆく感情を
燃え上がらせながら
人生の皇帝のごとく
歩むのだ。 
我らの行進は
我らの正義の行進は
そして
我らの信念と歓びの行進は
岩石の厚い大地をも
貫き砕きながら
心同じくする
万人の待っている
そのもっとも高く尊い
戦野に進むのだ! 
魂のラッパの音は
勇ましく鳴り響く!
皆が
人生を讃えゆく
勝利の歌を
歌い合わせながら
 荘厳な仏法の道を
違えることなく
悠然と進む。
そこには
暗澹たる陰湿な人々は
一人もいない。
不潔な心の
臭いを持った悪人も
増上慢の人間も
一人もいない。
皆が心の中に燃える
仏の生命を
歓喜をもって
力強く謳い上げている。 
誇りも高き君よ!
勝利 勝利の君よ!
忍耐と努力の 尊き君よ!
悪戦苦闘を恐れず
踊りゆく君よ!
愚劣や
毒蛇のごとき
誰人も忌み嫌い
信用せぬ者どもを嘲笑い
光り輝く正義の大道に
進む君よ!
君たちは
勝ったのだ!
君たちには
悔恨はない! 
君たちの
戦いの苦悩は
大歓喜の人生となり
常楽と我浄の
黄金の生命を飾り
讃えていくのだ!

 「我らは正義の道を!」より 


いけだ・だいさく 1928年、東京都出身。多くの詩作を発表し、81年、世界芸術文化アカデミーから「桂冠詩人」の称号が贈られる。世界詩歌協会からは、95年に第1号の「世界桂冠詩人賞」、2007年に「世界民衆詩人」の称号、10年に「世界平和詩人」賞を受ける。写真芸術の分野では、1989年にフランス写真博物館の第1号の「名誉館員」に、91年には、オーストリア芸術家協会の日本人初の「在外会員」に就任。シンガポール・ネパール・インドネシア等の写真家協会からは「終身名誉会員証」が贈られている。 


 (2011.11.20 聖教新聞5面 詩と写真の交響より)

To My Friends from Daisaku Ikeda

To My Friends from Daisaku Ikeda
 (161)
Just a single encounter or even a few words of encour- agement may become seeds that bear bountiful fruits. While observing those fru- itions, one continues to sow the next seeds of hope. This is the way of face-to-face humanistic education filled with dreams and ideals.
一回の出会いでも、
一言の激励でも、
それが種となって、
多くの実を結ぶ。
その結実を見守りながら、
さらに希望の種を蒔いていくー これが、
ロマンに満ちた 手作りの人間教育である。
 (162)
When we feel happy, let us be happy. When we feel sad, let us be sad. The imprtant thing is to keep praying regardless of how we feel at the moment. Watever happens, those who continue chanting daimoku will win victory in life in the truest sense daimoku: The invocatino of Nam-myoho-renge-kyo (literally,"devotion to the Lotus Sutra of the Wonderful Law"); the ultimater Law or truth of the universe 
嬉しいときは嬉しいままに、
悲しいときは悲しいままに、
ありのままの自分で 祈っていくことだ。
 何があろうと 唱題し抜いた人が、
真の勝利を得る。

法難 昭和度(創価学会

明治以後は徳川幕末神道復興の影響を受けて、廃仏棄釈の為に各仏教の勢力減退し、加ふるに明治天皇の神格向上と共に、又形式だにも各旧仏教の繁栄を見ざるに至り、殊に国威の発展と共に益々勢力を削がるる傾きに陥り、時の政府の愚弄する所と成り了り、殊に昭和度の軍国政府の勃興するや全く神威の下に漸く生息するの程度に陥りたり、此を以て古来神社の整理を謀り或は雑乱の社参禁止せし浄土真宗及び日蓮宗の一部に於いては法難を受けたる事顰繁にして此れが防禦法に苦心惨憺たりしなり、吾宗の僧俗又此難を免れず殊に真新気鋭の創価学会も此難を蒙り殆んど全滅の形状に陥れり、但し当時の国家としては神威に憑み過ぎて大敗戦に及びし為に世界の劣等国と成り対外的にも政策の大変動に依り俄然此等神道偏尊の悪風は一掃せられたるも却って個人の自由は勿論にて信仰も又自由公平となりたれば、学会の復興も忽ちに成り意気中天に達し全国到る処に新真なる会員が道場に充満し幸福平和の新天地を拓ければ一時の劣等がまた最勝国と成るべきか、各宗教界の羨望甚だしく、本末の仏法隆盛を極め法益倍増、法滅の末法忽ちに変じて正法広布の浄界と成り広宣流布の大願成就近きに在り、悦ぶべし喜ぶべし、編者申す。 (下の一編は小平芳平氏の記に依る) 一.事件の概要 昭和十九年七月六日、創価教育学会の会長以下二十一名が治安維持法違反及び不敬罪の容疑により、各地の警察署に留置された、この事件の背景とその概要は次の通り。 昭和十二年七月七日、支那事変勃発、十五年七月に成立した第二次近衛内閣、新体制準備委員会を作り、高度国防国家建設を声明、十六年十月十八日、東条英機が内閣を組織し、戦時動員体制を整えつつ同年十二月八日、対米英宣戦布告を行った。 緒戦の陸海軍の大戦果にもかかわらず、アメリカ軍は次第に反攻に転じ、進歩した科学と豊富な物量をもって次第に日本軍を圧倒し始め、開戦後一年も過ぎる頃からあわただしい空気に包まれてきた。創価教育学会は昭和十二年に発会して、当時【昭和十七年頃】は会員が三千人に発展していたが、牧口会長はこのように未曾有の非常時局を救う道は、日蓮正宗の広宣流布以外にないこと、従って今こそ国家諫暁をしなければならないと仰せ出さる。 然るに時局は全く逆の方向に流れつつあり、あらゆる分野において戦時体制化を強要し、当局は宗教も各派を合同して一本化し、国家の大目的に応じて進まなければならないとの方針とるようになった、軍部の権力を背景とする文部省のこの方針は、日蓮宗の各教団は単称日蓮宗(身延)へ合同しなければならないとし、軍人会館を中心に日蓮主義者と称する軍人と、日蓮宗の策謀家達が屢々会合して、この謀略の推進に当たっていた、大石寺の僧俗の中にもこれに動揺を来す一類を生じ、小笠原慈聞師は水魚会の一員となり、策謀の一端を担うに至る、而して「神本仏迹論」を唱え、思想的にも軍閥に迎合して総本山大石寺の清純な教義に濁点を投じた。 大石寺においては僧俗護法会議を開き、身延への合同には断固反対して、十八年四月一日に漸く単独で宗制の認可をとることができた。 十八年二月にはガダルカナル島の敗戦が発表され、愈々戦局は敗色濃厚となり、国民生活には極度の窮乏が襲いつつあった。 牧口会長は今こそ国家諫暁の時であると叫ばれ、総本山の足並みも次第に此に向かって来たが、時日の問題で総本山からは、堀米部長がわざわざ学会本部を来訪なされ、会長及び幹部に国家諫暁は時期尚早であると申し渡されたが、牧口会長は「一宗の存亡が問題ではない、憂えるのは国家の滅亡である」と主張なされた。 小笠原師はこの策謀に成功すれば、清澄山の住職とか或は大石寺の貫主を約束されているとの噂もあった、十八年四月七日には、東京の常泉寺において、小笠原師の神本仏迹論を議題に、堀米部長が対論することになったが、小笠原師の破約によって実現しなかった、又この頃東京妙光寺にも紛争があった、陰には小笠原の策動があったといわれている。この当時、総本山と創価教育学会を訴えた者があるとの噂もあり、正宗と学会弾圧の気配が次第に濃くなってきた。 十八年六月には、学会の幹部が総本山へ呼ばれ、「伊勢の大麻を焼却する等の国禁に触れぬよう」の注意を時の渡辺部長より忠告を受けた、牧口会長はその場では暫く柔かにお受けした、が心中には次のように考えられていた、当時の軍国主義者は、惟神道と称して、日本は神の国だ、神風が吹く、一億一心となって神に祈れ、等々と呼びかけていた。少しでも逆らう者があると、国賊だ、非国民だといって、特高警察や憲兵のつけねらう所となった、もとより牧口会長は、神札を拝むべきではない、神は民族の祖先であり、報恩感謝の的で合って、信仰祈願すべきではないと、日蓮大聖人、日興上人の御正義を堂々と主張なされていた。 この頃一般日蓮宗に対して、御書の中に神や天皇をないがしろにする不敬の箇所があるとか、お曼荼羅の中に天照大神が小さく書いてあるのはけしからんというような、くだらない警告が発せられ、一部の日蓮宗では御書の一部を削ったりお曼荼羅を改めるというような事件さえあった。 こうして合同問題のもつれと、小笠原一派の叛逆、牧口会長の国家諫暁の強い主張等を背景として、直接には牧口会長の折伏が治安を害するといい、又神宮に対する不敬の態度があるとして、弾圧の準備が進められたから会長の応急策も已に遅し、殊に十八年の四月には豆北の雪山荘を大善生活同志の本部とするの盛挙を為すほどに発展もしていたが、同じ頃から、学会幹部の本間直四郎、北村宇之松が経済違反の容疑で逮捕され、六月には陣野忠夫、有村勝次の両氏が学会活動の行き過ぎ(罰論)で逮捕され、七月六日には伊豆に御旅行中の牧口会長を始め、戸田理事長等が逮捕された。 それ以後幹部二十一名が各地で逮捕され、治安維持法違反、不敬罪との罪で獄中に責められた、牧口会長は逮捕されて一年半、十九年十一月に老衰と栄養失調のため七十四才で獄中に亡くなられた。 一方総本山は漸く弾圧を免れたが、戦時体制に捲き込まれ、十九年十二月からは、兵隊の宿舎に客殿を提供せざるえなくなり、大宮浅間神社の神籬を寸時書院に祀るようなこともあった、その為か、二十年六月十七日兵隊の火の不始末から失火し、対面所、大奥、書院、客殿、六壺等の中心を焼き、第六十二世日恭猊下は責を一身に負われてか、火中に無念の御遷化遊ばされる不祥事を惹起した。 戦時の激化とともに、留置場生活も異常の食糧難や不潔に陥り、残された留守家族も、企業整備、疎開、インフレ、統制配給、応召、勤労動員等々とあわたゞしい動きの中に益々生活難に陥り、或は世の白眼視に耐えかねて退転する者が多かった。 最後に戸田理事長は二十年七月三日に保釈され、直ちに学会の再建にとりかかられた、裁判の結果、懲役の判決を受けた者もあったが、敗戦とともに治安維持法が廃止され、神社に対する不敬罪は大赦により、大多数の者は免訴となった。 

富士宗学要集(創価学会) 第九巻 428~432㌻

拘置所より留守宅への書簡 (1)牧口常三郎

〇 十月十一日附
貞子さん、八十五円正にとゞきました。ありがたふ。これで当分安心です。食物は一円弁当を一日一度、あとは当初の分で沢山。たゞ夜が寒くて困りました。左の品を至急入れてください。金は漸く六日、ざぶとんと、ちり紙は十日に届きました。はやくてもさうですから急いで頼みます。
まあ、三畳間、一人住居のアパート生活です。お中(腹)をいためて困りましたが治りました。あとは風ひかぬ事を注意して居ります。本も中にありますが、受付にきいてよいものを入れて下さい。渡辺力君に相談して。新しい本でないとは入れません。老人には当分こゞで修養します。安心して下さい。
一個人から見れば災難でありますが、国家から見れば必ず『毒薬変じて薬となる』といふ経文通りと信じて信仰一心にして居ます。二人心を協はせて朝夕のお経を怠らず留守をたのみます。取調べの山口検事様も仲々打ち解けて価値論(私の分)を理解してくれます。そのため一週間もかゝりました。仲々当所の中からは面倒ですから、気をきかして、必要の冬衣などを入れてください。本間様か誰かにきいて下さい。そして白金へも、戸田様へも教へて上げてください。
(一) 白毛布一枚(白イカバーが入れてよいなら、かぶしたまゝ。受付できく)
(一) 綿入一枚(木綿の分、夜着て居たもの)
(一) 手ヌグイ一枚
(一) 茶色の毛布一枚
(一) モヽヒキ(アノ警視庁へ持って行った毛糸の分です。之は当所からウチへ下ゲラレタ筈で      す。もし下がらな    かったら、聞いてください。洗濯して)
(一) 白のハダギ二枚
(一) フンドシ二枚
(一) ハンケチ(大小)二枚
(一) ハラマキ一枚
(一) タンゼンハイカさうですが、タモトにヌイ直せば、あの夜着て居たのが、冬着又は夜着とし      て入れられさうです。之れもタモトにとぢればよいと思います。
警視庁への差し入れは折々思ひちがひがあつて困りました。素直に云ふ通り実行して下さい。彼是れ考へずに、洋子ちゃんを大切に、お互に冬になつたら風ひかぬ様に、風をひいたらゆたんぽで直ちに治すことが、クマには殊に大切です。あとまた十日も手紙をあげられません。差入れ出来るものは受け付けでよく聞いて出来るものをたのみます。昨日は久しぶりで入浴ができました。理髪もしました。仲々暖か味があります。たゞ独房故、人にきけないので困りましたが、少しなれました。 
牧 口 ク マ 殿
牧 口 貞 子 殿
〇一月七日附【昭和十九年)
貞子ちゃん私も無事にこゝで七十四才の新年をむかへました。こゝでお正月の三日間はおもちも下さいましたし、ごちそうもありました。心配しないで留守をたのみます。戦地をおもうとがまんができます。大聖人様の佐渡の御苦しみをしのぶと何でもありません。過去の業出て来たのが経文や御書の通りです。
御本尊様を一生けんめいに信じて居れば次々に色々の故障がでて来るのが皆治ります。さてハダコとハダギとを宅下げしますから代わり着を早くもって来て下さい。本もネ。秋月翁はどうおっしゃったか。渡辺にきいて知らせて下さい。
今が寒さのぜつぢやうです。ゆたんぽをかして下さるのでたすかります。大急ぎで差入れて下さい。ちりかみもとゞきました。ベンゴ士はどうはこ(運)んで居るか。皆さんに相談して(渡辺をして)しらせて下さい。洋三の手紙もこちらへ届けてもらへると思ふ。エビオスは医者さんが許して下されたのですからそれを云ふて入れてくれ、小栗、尾原の家庭は相変らずか知らせて下さい。日付を必ず入れてね。母と二人で洋子を大切に、留守を頼む。細かいありのまゝを書いて下さい。その方が戦地でもよろこびます。稲葉の御父さんの病気は直ったか返事に書いて下さい。
牧 口 貞 子 殿

 富士宗学要集(創価学会)第9巻 434~437㌻

Wednesday, November 23, 2011

若き日の日記(昭和二十四年) 池田大作



 五月三十一日(火) 小雨  

人生には、あまりにも仮面者が多い。真実を尊しとしてゆかねばならなぬ、特に青年は、一生、真実を追求しゆく人は、偉大なる人だ。  
戸田先生の会社に、お世話になって、早、半年。実に、波乱激流の月日であった。あらゆる苦悩に莞爾と精進しゆくのみ。生涯の師匠、、否、永遠の師のもとに、大曙光を目指し、信念を忘却せず前進せん。  
少年雑誌『冒険少年』七月号でき上がる。自分の処女作となる。純情なる少年を相手に、文化の先端を進む、編集を、自分の親友と思い、恋人の如く思うて、力の限り、向上発展をさせよう。 「今日の使命を果たすべし」これ、将来に光あらしぬる所以なり。  
帰りに、新橋にて、映画を鑑賞。七時、起床。十二時、就床。  
若人は、豊かな心を、作り上げねばならなぬ。寛大な生命を、持たねばならぬ、信心にて。

 六月四日 (水) 雨

 今日も雨、寒いぐらいだ。
『冒険少年』八月号の割り付けも大体終る。ほっと一息だ。八月号こそ、大発展させねばならぬ。
「仏法は勝負なり」正しき、社会観をもつた、日本正月館が、他社に負けてはならぬ。

 
 仕事上、多くの画家、作家と会う。先生々々といわれる人々。会ってみれば'、がっかりだ。世に偉大なる人とは、人格者あるのみ。
 現今の芸術界に、何人、尊敬すべき人ありや。芸術家は、偏屈で良いのかも知れぬ。だが、何度、足を運ばすのだ、この貴重な時間に。
 帰り、蒲田駅近くの靴屋にゆく。古靴一足購入。社会は矛盾が多すぎる。正しく生き、働いて、物質に恵まれぬ人。働かず、要領よく生きて、物質た事欠かぬ人。様々だ。
 所詮、人生の勝利者とは、物質の獲得者か。つまらん・・・・・・。
自己の境遇を、じつと見るべし。そして、大いなる打開をして、未来の実証となす。これ信仰ではないか。
 青年よ、決して、悲観することなかれ。羨むことなかれ。