Friday, December 30, 2011

若き日の日記(昭和26年) 池田大作



一月六日(土) 曇
  
  十一時三十分、先生宅、薄ら寒い正月。先生と共に、会社等の書類の整理。




一晩中、先生宅にて、種々お手伝い。及び指導、薫陶を給わる。先生の、なみなみならぬ、決意を、ひしひしと感ずる。


先生は、正成の如く、吾れは、正行の如くなり。奥様は、落涙。此の日の、感動、厳粛、感涙、使命、因縁、生き甲斐は、生涯、忘るることはない。後継者は、私であることが決まった。
激越の、年も刻々と明けてきた。いかなる苦悩にも打ち勝ちて、男らしく、青年らしく、若人らしく、本年も戦いきろう。




学会も、会社も、黎明の年であれ。

五月三十一日(水) 晴れ

 
 天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向かヘリ月氏の仏法東へ流べき相なり、瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり、仏は法華経諦法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ。
  
                                                  (諌暁八幡抄)

 一日一日、夏の陽気。


第一に、御本尊を信ずること。
第一に、御本尊を疑わざること。
第一に、御本尊に祈りきること。
第一に、御本尊を離れざること。
第一に、御本尊に訴えきっていくこと。

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