素晴らしき 人生の
知性と情熱 真髄生き抜く
漲りて 崇高な
世紀の勝鬨 広宣流布の
わが弟子見つめん 価値ある日々たれ
「人間の頭脳ほど力強い存在は、宇宙のどこにもない」
これは、ロシアの宇宙開発の父ツィオルコフスキーの確信であった。
人間と生まれてきて、学ぶことができる。考えることができる。頭を使って、価値を創造していくことができる。それが、いかに素晴らしい幸運であり、チャンスであるか。
なかんずく、若く、みずみずしい頭脳を鍛えて、宇宙大の英知を冴えわたらせ、民衆の幸福のため、社会の繁栄のため、世界の平和のために探求し、行動していく青春は、あまりに尊い。これこそ「行学の二道」に励みゆく、わが男女学生部なのである。
日蓮大聖人は、身命にも及ぶ佐渡流罪の大難の中にあって、悠然と「本より学文し候し事は仏教をきはめて仏になり恩ある人をも・たすけんと思ふ」(891㌻)と仰せになられた。
この蓮祖の歩まれた最極の生命の正道にまっすぐに連なっているのが、学生部の日々の前進である.
昭和三十二年(一九五七年)の六月三十日。北海道の炭労問題、また大阪事件と、法華経に説かれる僣聖増上慢の迫害が吹き荒れる渦中に、師・戸田城聖先生は東京の麻布公会堂で学生部を結成してくださった。
この日、私は破邪顕正の戦いが続く最前線の夕張から祝電を送った。「われらの学会に学生部が誕生した」と喜んだ、北海道の友の笑顔が蘇る。
小学校を出て、丁稚奉公で働き、苦労を重ねた北海道広布の父は、やがて愛娘が女子学生部に入り、御義口伝講義の受講者隣成長していく英姿を、希望の宝とされていた。
御義口伝には、「惣じては日蓮の弟子檀那なり」(752㌻)と仰せである。紛然と競い起こる三障四魔にも怯まず、妙法を唱え弘めてきた、無名にして無冠の父母こそが、最も尊貴な如来であり、仏である。この方々を最大に敬い、守り抜くことが、法華経の最終章に登場する普賢菩薩の誓願でであり、使命なのである。
「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり」(780㌻)と示されている通り、創価の普賢たる学生部が学び鍛えて力をつけた分、世界広布は進むのだ。
私は十九歳で戸田先生にお会いした。先生の事業の危機を打開し、先生に第二代会長に就任していただいた時は、二十三歳である。まさに学生部の皆さんと同じ年代であった。
仏法に無駄はない。人より忙しい分、充実がある。苦労は即、栄光だ。「立正安国」の闘争に中でこそ、金剛不壊の汝自身の生命が輝くのだ。
昭和五十四年(一九七九年)の五月、神奈川文化会館に勇み集ってくれた大学会の友に、私は申し上げた。
「一人の人材には、万人を指導し、救いゆける力がある。君たちが、師の何十倍、何百倍と成長することが、大聖人が喜ばれ、人類が喜ぶ道です」
結成から五十五年。学生部は日本中、世界中で新たな人材が躍り出ている。不思議な時が来た。
世界五大陸の大学と連帯しゆく。わが学生部よ、人類史の先頭に立ちゆく誉れも高く、朗らかに、勝ち光れ!
2012. 6 大白蓮華 創刊750号より